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アクセシビリティガイド 2001年夏休みイベント
ご応募ありがとうございました。夏休み限定イベントは締切らせていただましたが、あと一息で投稿出来る方や、これから始める人はがんばってやり遂げて下さいね。送り先はこちらをどうぞ。
 

だれでもが、たのしく快適で安心に利用できる

夢の「駅や駅のまわり」アイデア−第1弾−

 

 言わないことから始めよう 

 羽村駅探検 

 都庁駅探検から一年半が過ぎて 

 未来の駅 

 (無題) 

 プラチナシートはいかが? 

 ぼくはあまり電車にのったことがありません 

 

 

 

駅のお客さんに聞いてみよう 駅長さんに聞いてみよう  としょしつ 

  

 

言わないことから始めよう

羽村第二中学校 二年 岡村李(おかむらもも)

 

 「しんしょう」という言葉がある。「身体障害者」の略ということらしい。漢字にすると「身障」だろうか。

 初めて聞いたのは小学校6年のときだった。私の通っていた小学校のちかくには身体障害者が通う施設がある。小学校の頃は、そこに通う人と帰宅時間が重なって、同じ道を歩いたりしていた。そんなある日のこと、私の前を歩いていた男子が、障害者の人を指指して、こう言った。

 「あいつら身障なんだぜ」

 なんだかさげすんだ言い方だった。妙に心にひっかかった。

 中学に入ったら、「身障」をよく聞くようになった。それでわかったことだけど「身障」はやっぱりただの略語じゃなかった。身体障害者をさげすむ意味で使う。それだけじゃなくて、健常者でも嫌われ者や皆から見下されてる人はそう呼ばれる。

 「あいつら身障じゃん。」

 こんな感じだ。自分を卑下するときにも使う。

 「あたし、ちょっと身障はいってるから。」

 立派な差別用語なのだ。それが分かったときとても後味の悪いおもいがした。

 そういえば、うちの中学では、毎年近くの養護学校と交流会を開く。生徒会といくつかの部活が代表で養護学校へ行き、遊んだり一緒に時間をすごす。行くことになった誰かが言った。

 「えー、なんだうちらが身障なんかの相手しなきゃいけないのォ?」 

 聞いておもった。誰かが「身障」なんて口にしているうちは、本当の意味での「交流会」なんてできないんじゃないか。

 

 「身障」という言葉について母に話してみた。すると、こんな興味深い話をかたってくれた。

 「私の小さいときにも、そういう差別用語があったよ。視覚障害者を『めくら』、聴覚障害者を『つんぼ』って呼んだりね。あと障害者全般をさして『かたわ』って言っていたナ。小さい頃無茶をすると、おばあちゃんに『そんなことしてるとかたわになるよ』ってよくしかられたんだよ。差別が問題になって法律で禁止されたから今は誰もつかわないけど。ふーん。でもやっぱり、言葉を禁止するだけじゃ、差別はなくならないんだね。『身障』なんて言葉ができちゃうんだもんね。ちゃんと心の中から見直していかないとダメなんだよ。」

 全くだとおもった。しかし、何十年か前まで日本中で差別用語が普通につかわれていたなんて知らなかった。だが、知ったからには、同じ愚は犯したくない、とも思った。

 

差別用語の問題、というのはそのまんま人権問題であると思う。人権とは、誰もが守る権利を持つものであり、そして誰もが他者のそれを守る義務を課せられている。だから差別はいけない。だが、差別をなくすのはとても難しく、そして簡単にはできないのである。外へでて、誰にも平等に接しろ、と言われたって、皆とまどうばかりだろう。

 それなら、簡単なことから始めていけばいいのではないか。その第一歩として、私は「身障」などの差別用語を使わないことからスタートしようとおもう。そして、これまではできなかったことであるが、だれかがそんな言葉をつかっていたら、

 「やめなよ」

 と一言いえる勇気を持ちたい。

 

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羽村駅探検

 



 

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都庁駅探検から一年半が過ぎて

羽村市 N.O.

 

 バリアフリーは、設備面ではこの2、3年で急速に進んだ。とても喜ばしいことだと思う。れが心のバリアフリーはどうなのだろうか。

 車椅子のひとをじろじろ見るのは失礼だと思って生きて来た。手話で会話する女子中学生達に見とれてはっとして目をそらすことがある。何故なのだろう。子どものころから、親や回りに人から教えられて来たせいだと思う。「障害がある人、普通じゃない人をじっと見ることはいけない、失礼だよ。」と。いつしかその教えが身について、私達は普通でないと判断したものから目をそらす。見てみぬふりをする。

 私の場合、アフリカ系の人を見つめる事も無意識にさけているようだ。これも、幼い日に教えられたに違いない。好奇心に満ちた幼児のころ、私は何でもじっと見つめたはずだ。見てはいけないものなんて、赤ん坊には無いもの。一つ一つ、価値観を植えつけられて今の私ができている。

 「お手伝いしましょうか」の声が私などには自然には出ない。慣れていないこともあるが、「見ないふり」を永らく続けて来たことが、大きな原因なのだろう。

 

 身体の機能が徐々にマヒして動かなくなりつつある友人がいる。私が、無責任な励ましの言葉を並べても空虚に響くだけである。私は無理をして疲れ、彼女も恐らくそうであろう。何か明るい話題、楽しい話題をと思い過ぎるのだろうか。自然体で話すのが難しい。

 私はただ、車椅子の上で運動会の応援をする彼女から元気をもらって帰って来る。昨年の都庁駅探検隊の時にお会いした障害者の方々も印象深い。圧倒されるような生命力と明るさであった。私は逆に彼らに励まされ、何才か若返ったような気がした。

 彼らは、自らがモデルになること、見られることを通して、子ども達や私達に多くのことを教えてくれた。私達は好奇心を持って、様々なバリアフー設備を見学し、何よりも障害者の方々をじろじろ見ていたのだと今になって思いあたっている。ありがとうございました。その後お元気でお過ごしでしょうか。

 

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未来の駅

小学校6年生 萩野日向子

 私も未来の駅を考えました。

 私は小さなこどもからお年寄り、障害者の人などいろんな人が不便なく使えるような駅にできるといいなと思いました。

 たとえば、ホームと電車の間に小さな子や目の見えない人が落ちたりしないように、電車が来たら、ホームからか電車からのどっちからか橋のようなものが全車両のドアにでてその上を歩けるようにしたりするといいと思いました。

 また、ホームのまん中に売店があると、ホームの端を歩かなければいけないので、目が見えない人などは、ホームから落ちたりする事故が多くなってしまうと思います。だからホームのまん中に点字ブロックがひけて、そこを歩けるといいなと思いました。そうすると転落事故も少なくなると思います。

 もう一つ、私は未来的な電車を考えました。それは自転車のまま乗れる電車です。私はあまり歩くのが好きではないので、もしどこかへ行くとき、その場所が駅から遠かったら、駅から自分の自転車で行けたらいいなと思いました。でも今走っているふつうの電車に自転車を乗せるのではなく、その電車には、いす・てすり・つりかわの他に、自転車を簡単に固定するものがついていると安全に乗れると思いました。

 私はもっともっと、使いやすい駅、電車になるといいなと思いました。

 

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nayuta

 

アド街ック天国と組んで、バスを走らせる。

乗り放題で300円。不正防止に工夫をする。

  

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プラチナシートはいかが?

 

私は、電車の乗降口の両側の座席を「プラチナシート」にすることを提案します。

じつはこれを思い付いたのは、5年程前です。

埼京線に乗っていた或日のこと、電車は十条駅を出発して池袋駅に向かっていました。出発して間もなく、向かいの7人がけシートのほぼ中央に座っていたおばあさんが、隣の人に尋ねています。「次はどちら側の扉が開きますか?」隣の人は知らない様子。まだ池袋駅のホームも見えません。池袋駅に到着するまで何度もそのおばあさんは問いかけています。私は少々変わった人だなと思いながら、見ていました。

電車がホームに着きました。やっと尋ねていた理由がわかりました。その人は足取りが困難だったのです。歩幅がとても小さくて座席の中央から乗降口への距離がその人にとってはとても遠いものなのです。前もって少しでも心つもりしておきたかったのでしょう。

ひょっとすると、これまで降りそびれたこともあるのかも知れません。

 

その時、優先席とは果たして3人がけのところが適切か、車両の端が好ましいのか、疑問に思いました。

乗降口の両側は、誰にとっても嬉しい座席です。

私は始発に乗る時は、好んでこの座席に座ります。ゆっくり横の手すりにもたれて眠れるからです。

アナウンスが聞こえない人にとっては、扉上部の電光掲示が見やすい良い座席です。

目が不自由な人にとって、一番座席が確認できる座席です。

足腰が不自由な人にとっては、一番移動距離の短い場所です。そして手すりがある座席です。

 

この席は、気が効く人、気さくな人の席にして欲しいのです。

そしてこの席では気軽に「どうぞ」と立ち上がって欲しい、

この席の前では気軽に「席を譲ってください」と声を掛けて欲しいのです。

優先席では「ここは身体の弱い人が座る席なのに、若い元気な若者が座って」と場合によっては批判的な気持ちになります。

私などは、はじめから座るのを敬遠しています。どんなに空いていても、、、

でもこの「プラチナシート」はそうではなく、もっと気楽な席にしたいのです。譲る方も譲られる方も。

 

プラチナシートは、年令がプラチナなのではありません。

心がプラチナなのです。

他人の様子に気付く事ができる人、自分のして欲しいことをすんなりとスマートに頼める人、、、

 

とても疲れていてとても譲る気分になれない時、こんな時は座っていてもいいのではないでしょうか?

 

優先席でなくても、席を譲るのは当然という意見があります。私もそう思いますが、実際実行できる人はわずかです。海外で電車にのった経験がある人は、異口同音に「マナーが違う」といいます。

日本人のマナーの向上を計るのは当然ですが、過渡期の方策として、プラチナシートはいかがでしょうか。

海外では、この席を譲るために、中央の人が席をたった場合、1人づつつめていって、端のこの席を譲ると聞きました。

 

でも鉄道会社の皆さん、「プラチナシート」なんて表示しないでください。

そして積極的に「プラチナシート」運動を展開してください。

 

1車両でプラチナシートは通常16席あります。

「ちょっと気分が悪いので、譲って頂けませんか?」「どうぞどうぞ、大丈夫ですか?」「座っていればなおりそうです。ありがとうございます。」

「心臓が悪いので、座らせて貰えませんか?」「まあ、気付きませんで、お大事に」「助かりました」

 

こんな会話ができる車内にしたいものです。

心のバリアフリーのはじめの一歩として。

 

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ぼくはあまり電車にのったことがありません。

どこかへ出かけるときはいつもお父さんの車です。ボーイスカウトのときは電車にのりました。だいぶ前のことだけど、オリエンテーリングでじんば山というところへゆくときに隊長が電車の道じゅんを調べるようにいいました。こまえ駅に電話すると、まずこまえ駅から町田というところでJRの横浜線に乗りかえて八おうじへ行って、そこからバスに乗ると教えてくれました。

隊長にそのことを言うと、隊長は地図を見てごらんといいました。八おうじを探して、それからこまえ駅を見つけました。それから駅員さんに教えてもらった駅をさがしたら、ずいぶん遠回りしていることがわかりました。隊長はその駅員さんはしんまいなのかなあ、と言ってました。町田まで行かなくても、のぼりと駅で乗りかえた方が近いことがわかりました。でも隊長はきみは家が小田急の近くだからこまえ駅に電話したけれど、八おうじへ行くときは京王線のほうがべんりなんだよと地図で教えてくれました。

家でお父さんに話したら、京王線のちょうふ駅のパルコによく行ってるじゃないかと言われました。でも電車がどこを走っているかなんて知りませんでした。

オリエンテーリングの日隊長はぼくにキップのりょう金を調べて班のみんなの分を買って来るようにいいました。けんばい機で一枚ずつ買っていると、副長がこのボタンをおすと3枚いちどに買えるよと教えてくれました。それからホームにあがって電車をまつ時に副長がかいだんのちかくはこむからホームのはしのほうにいどうするようにしじしました。それで特急電車にのってしゃべっていたら、たかはたふどうという駅でのりかえるから電車のとまる駅をよく見て、近づいたら班のみんなに知らせて荷物のじゅんびをするようにしじがありました。ぼくは電車の入口のところにあるていしゃ駅の図をずっと見ていました。電車にのるのはつかれるからいやです。あと、車のほうがどこにでも行かれていいと思います。

 

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